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未完成と創造 



未完成と創造

NYで、世界的に有名な美術館といえば、メットと呼ばれるメトロポリタン美術館(の略抄)、モマと呼ばれる近代美術館(Museum of Modern Artの略)がまず頭に浮かぶだろう。ウィットニー美術館は、近代・現代アートの殿堂で、同じく、グッゲンハイム美術館と双璧を競っているが、最初の2館の厚みと余裕には、一足たりないという感じだ。もっとも、これは、私の個人的嗜好で言っているだけで、絵画/彫刻に詳しい方なら、それぞれの人が一家言を持つというのが、芸術だ。

このメットが今月18日に新館をオープンした。その名は、メット・ブロイア。この新館、本来のメット本館から、歩くこと5、6分の東75丁目マディソン通りにある。実は、以前は1966年から2014年まで、アメリカの現代美術界をリードするウィットニー美術館で、建築家マルセル・ブロイアの手になる建物だった。だが、NYマンハッタン島の西側開発の波にのり、高架遊歩道として有名になったハイ・ライン(今も拡大中で、最近は、外国からの観光客がバスを連ねてこの公園におしかけている)地区に移転した後をメットが引き受けたという。

メットの前館長さんは、1950年代に渡米してきた、フィリップ・デ・モンテベロというフランス貴族の末裔で、美術界では世界的に有名な人で、古代エジプト、ギリシャの遺跡発掘や、欧州のキリスト教文化遺産を多く集めたメトロポリタンに、現代アートを持ち込み、モマの向こうを張ったことでも知られている。無論、本来の「美術・工芸品」のコレクションは、「世界一流品のみ」を集中的に蒐集した。また、衣装展では、過去の皇帝、女帝、女優、有名人、ファッション・モデル、デザイナーの作品を驚くような展示のしかたで、衣装展のメットと呼ばれた快男児でもあった。

この前館長が2008年に高齢で引退した後、就任したのは、メットに相応しく(と誰もが思った、中世専門の)トーマス・P・キャンベル氏だった。20年以上中世部門のキュレーターを務めていた彼だったが、館長に就任して以来、驚くほど美術館の展示をダイナミックにまた、今までの概念とは大きく変わった美術館に変身させ、富裕層の供託する寄付も、莫大なものとなったという。

ところで、現在、一般入場料は、一応、決まりでは、大人$25。ただし、好きな額で結構、という告知があり、学生や高齢者は、1セント、25セントで、平然と入場しているという。しかも、メット、ブロイア、そして北のクロイスターの3館に共通する入場パッチを、一度服の上に貼り付ければ(すぐ剥がせる)1日中、どのメット館にも出入り自由、という大まかさ。何故かといえば、実態は、入場料収入は、美術館の集める寄付その他からみれば、全収入の1.5%だというから、どこかの国の入館料のように、通常展示室と、特別展示室の両方が加算され、数千円の入場料を課すのとは、なんたる違いか、と嘆息をさそわれる。こうした寄付が減税の一手段だということもあるのだろう。高齢者への郵便は、「遺産のご寄付」をお勧めする手紙が多くなる。これも、高齢者から、若い世代への富の再分配のひとつの方法でもあると理解するのも、文化なのだと思う。自分の家族だけではなく、全社会として考えれば。だから、僅か1セントで入場していた人が、死後の財産は、メットに、という人だって、無いことはないのだろう。

さて、この新館、一応「現代・近代もの」が展示、と謳っているし、事実、それはそうなのだが、展示を見て、びっくりしたのも事実である。1階から4階まで、特大エレベーター(大きな出展作品を運ぶには、必須の高さと広さがある。学校のクラス・ルーム位の広さはあった。)で運ばれて、階毎に見て回ったのだが、たしかに、ジャクソン・ポラック、デ・クーニング、ジャコメッティといった、広く知られた作品もあるが(メット本館の現代物室にあったのを動かした?)、それ以上に、ティツイアーノなど、ルネッサンスの時代のイタリア画家の作品ではあるが、「未完」「中断」「修正中」など、いわば「傷物」としてこれまで見向きもされなかった多くの作品が展示されている。

説明を読むと、一応納得は行く。時代を考えれば、宮廷画家が描くのは、貴族、王族が多いが、必ずしも、みな作品を完成させた訳ではない。理由は簡単、途中で戦争が始まったので、モデルがそちらに行ったので途中放棄(中には死んだり殺されたりも)。支払いがもらえなければ絵も描けない、画家側が描かないこともある。女モデルが途中で気をかえ、自分がもつのは、花ではなく、本にしたいといった、とか、自分の隣の揺りかごに、赤子を寝かせるのか、小児を寝かせるのか、意見が変わる、画家自身が外国で客死。。。など、こう考えれば、完成した絵と未完成の絵の数は、それこそ未完成の方が多いのではないか。

ただし、それを丹念に集めた人々がいて、その未完・空白の部分に焦点をあてて、美術館の大きな部分を埋める、というのは、今まで聞いたことがなかった。このメット・ブロイアは、果敢にも、その「負」に焦点をあてる発想の転換が勝負だといいたいのか?

戻って、NYタイムスのブロイア一般公開の記事についてみていたら、以下の文章があった。
”だが、メットは巨大で、古代からの展示品には歴史があり、現代アートは、ほんのおまけみたいに扱ってきた歴史がある。それを変えるのは、いわば大洋を横断する客船の方向を転換するようなものだ。船長も船員も恐らく、無理をせず、注意深く進めてゆくのであろうが。”

現在のハイテクの無限の可能性を知ることは、歴史自体に新しい光をあてる試みとも言える。すくなくとも、この「欠陥」の作品の一つには、ミケランジェロ・ボナロティの肖像を完成させようとした形跡があった。同時代の画家の作品だったのだから。

 

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