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絶歌から学ぶべきことは何だろう?学ぶべきことがあるのだろうか? 

絶歌から学ぶべきことは何だろう?学ぶべきことがあるのだろうか?

6月15日にNYを経ち、6月26日まで、東京で過ごした。通常であれば、毎月20日前後に私のブログを掲載するのだが、日本についてすぐ「絶歌」を買った。だが、読む前に、すぐに怒涛のように、ネットで情報が入り、公共図書館では置かない、とか、館内閲覧のみ、とか、多くの方面から毀誉褒貶の書評にさらされていた。

また同時期、私自身のスケジュースをこなす為に、6月20日までに、ブログを纏めることは、能力的にも、精神的にも不可能だと悟った私は、6月のブログは、諦めたというのが、事の次第である。誰も私のブログに注目している訳ではない、とは認識しているものの、この毎月のブログは、私にとって、人生最後の総まとめを目指しているので、6月をミスしたことは、汚点であると判っている。深くお詫び申し上げます。

さて、この「絶歌」読み終えたのは、NYに戻ってから、7月に入った頃だった。文芸春秋8月号が出た時、立花隆さんの巻頭言で、「少年Aの事よりも」というタイトルで、絶歌は、書くに値しない本だ、と書いておられた。日本の知の巨人である立花さんは、神戸での事件の裁判後、文芸春秋で、酒鬼薔薇聖斗の心理分析と事件の背景について、かなり詳細なルポをお書きになったので、今更ということかもしれない。

私の記憶には、逮捕された少年の記述として、犯行を画策している時、学校から家に帰ると、母はおらず、机には、「クリームパン」が置いてあったので、それを食べた、とかいう記述が印象にあり、何となく家庭の雰囲気が、背因なのか、という印象があったのを記憶している。と同時に、私自身、シングル・マザーで、息子の面倒は、ベビーシッターと、小学校から鍵っ子であった為、クリームパンを1人で食べる子供のイメージが強く、反省したのも事実だ。(ブログを掲載した後、我が家に残っていた1988年4月号の特集「少年A検事調書の衝撃」で複数の有識者が「パンを焼き紅茶を飲んだ」という記述をしているのに気が付いた。私の記憶違いか、どこからクリームパンが出てきたのやら??)

ショッキングな事件だから、今回も、ネットには、賛否繚乱の意見が氾濫している。その中で、私的に納得できたのは、碓井真史氏、新潟青陵大学大学院教授(心理学)の意見だった。一言でいえば、「出版は正義に反する。しかし内容は心に迫る」という一文だった。
“Yahoo!ショッピングで入手して、一気に読みました。この出版は、正義に反します。しかし同時に、私の心は揺すぶられました。読み終わった後、しばらくは誰とも話したくないと感じたほどに。”ではじまる氏の意見は、この事件が齎した多くの視点、社会的矛盾、少年法のありかた、日本社会に内在する矛盾、悩み、怒り、多くの感情が津波のように氏を襲ったことがはっきり感じられる文章だった。Cover.jpg
氏の付箋が一杯付いた太田書店出版の「絶歌」

氏の考えが日本人の何%の同意を得られるのか、私には判らないが、矛盾は矛盾として、次世代にどう向きshi 合っていくべきかの新しい糸口にはなるのではないだろうか。例えば、殺人者であるA少年は、戸籍上の名前は今でも(刑期を終えて、院外に出ても)A少年で通り、一方被害者である淳君、彩花さんの名は、そのまま使われている、という矛盾。
逮捕された時、A少年が捜査官に言ったという、「死刑はいつですか?」という問い。恐らくAは、罪の重さを判って、当然酬いを受けるだろうと思ったのだろう。だが、捜査官は、「死刑になんかならないよ。」と言った。愕然とするA。にも関わらず、今では「生きたい。」と言い、被害者には、「ごめんなさい。」というA。

少年法のお陰で、A少年は、幼児期以後を復活体験できるという恩恵を与えられ33歳という立派な大人になっても、本名を出さないでも良い、という矛盾。多くの識者が「更正した、というなら、本名で出版すべきだった」と指摘するのは、実際その通りだと思う。だが、その一方で、仮にそうした場合、この少年Aは、日本社会の他の一員から、「制裁」という名の下に命を狙われる恐れにも、私達は直面しなければならないだろう。被害者側からすれば、それはある点、希望、といって悪ければ、お仕置きの結末、という面があることは否めない。それでは「少年法」の目的は、どうなるのだろう?
はたして、「少年法」は、目的とする「更正」に成功したのか?

例えば、米国の場合、あらゆる犯罪は、均等に記録される、というFBIの規則がある。
FBIのホーム・ページには、The Uniform Crime Reporting (UCR) Programがあり、刑事犯に関わる調査員、学徒、専門家が広く統計記録を得ることが出来る。あらゆる犯罪は、州別、内容別、に記録され、また、ネットのページは、なんと、英・米語のみならず、日本語を含めた世界90カ国位の言語に翻訳されている。(但し、日本語訳について言えば、古い翻訳ソフトを使ったようで、まともに意味を理解するには、原文の英語からでないと無理である。)こうした基本的統計記録が整備され、どのような犯罪であっても、検索でき、それが、一般ネットで誰もが読めるという仕組みになっている。

このFBIのページを日本語にすれば、ほぼ以下のようである。
“統一犯罪報告(UCR)プログラムは、法の執行役員、刑事司法の学生、研究者、メディアのメンバー、国家に犯罪に関する情報を求めている一般大衆のための出発点となっています。プログラムは、信頼性の高い均一な犯罪統計の必要性を満たすために、国際警察署長協会によって1929年に設立されました。1930年に、米連邦捜査局(FBI)は、情報収集し、出版し、またそれらの統計情報を過去の記録保全(アーカイブ)することを使命としています。
今日では、全米18,000都市の大学、郡、州、地方自治体、連邦政府機関などが自主的に参加しで集めたデータから採った犯罪統計を基に、年4種の刊行物つまり、米国での犯罪、全国犯罪種別記録の報告システム、法の執行者(警官)が蒙った、殺人・暴行、およびヘイト・クライムの統計を発行しています。犯罪報告書は、州のUCRプログラム或いは、直接、FBIのUCRプログラムに登録されます。"

尚、米国では、裁判で裁可された案件は、すべて、番号が付き、番号で攫えば、裁判の全記録が出てくる。

さて、日本の少年法であるが、ネットで見る限り、現行の少年法(2007年に改訂)が、他国と比べて甘いのか、厳しいのかについてさえ、意見が百花繚乱、という具合である。だが、「更正」を考える場合、「更正期間」が過ぎた場合、いきなり社会に送りだし、あとは、自分で(今回は、そうした印象だった)というのも、問題ありと言えないだろうか(ましてや、A少年とのみで、本名も判らず、過去の記録も秘匿、というのが、適切なのだろうか?

犠牲者に対する補償の意味でも、すくなくとも出版から得られる収入の一部は、被害者側に支払われる(或いは、将来の他者の「更正」への出資金という考え方もあっていいのではないか、そして、それらは、情報開示されるべきではないだろうか?)
余りに謎の多い、A君の立場が、不憫にも、また、公正でも無い、と感じた。折角A君が全身で書いた「絶歌」が、「舌禍」の犠牲になりませんようにと祈る。

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