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手塚治虫さんの残したもの 

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この冬は、私の記憶からいって、ダントツと言っていいほど、寒い日が続いている。以前フルで働いていた時は、冬の日々がどれほど寒くても文句も言わず、事務所に通い、周囲もそれを当然としていたから、冬は寒いのが当たり前、というほどの受け方が一般的だった。また、米国内の出張であれば、南や、西であれば、NYよりはずっと暖かい地方で、そうした出張があれば、NYの寒さをモロに受けなくても良いということもあったのだろう。冬が寒いからと、文句を言ったことはなかった。季節柄、の一言で済んでいたのだ。

それが、この冬は、本当に寒さを見にしみて感じた。元来、私は、満州生まれで、しかも終戦の年、厳寒の2月が誕生日である。それでも生き延びて、日本に引き上げて(私は乳飲み子だったが)無事育ったのだから、寒さに耐えるDNAは、親から受けているのかも知れない。とはいえ、実は1歳上の姉と一緒に保育園に通っていた時、寒いからと泣いて、幼稚園のバスケットを、姉に二つ持たせた、というのも、姉達の証言でシッカリ聞いているから今でも姉には頭が上がらない。

そんな寒いNYではあっても、見たいもの、行きたい処があれば、いつも通り、出来るだけ歩いて行く。先週金曜と土曜は、氷点下にもめげず、連日ジャパン・ソサェティに行き、手塚治虫さんの製作した短編映画集を見にいった。よく知られている通り、手塚漫画は、普通の描き絵漫画で出回っているが、最後の頃は、動画を製作したのだと。金曜は、短編5,6本、土曜は、「森の伝説」というアニメだった。

この「森の伝説」は、ディズニーの「ファンタジァ」への答礼、という位置なのだという。チャイコフスキーのシンフォニー第4番作品36、4つの楽章の内、手塚さんご本人が製作したのは、第一楽章と最後の第四楽章で、これらは1987年に完成したのだが、手塚さんは、1989年の2月に亡くなってしまった。それで、未完成となっていたのを、息子さんの眞(Macoto Tezkaと綴るようだ)が、父親の残した台本や、各資料を駆使して、第二楽章を昨年完成させたのだという。攫ってみたら、この交響楽は、チャイコフスキーが、ヴェニスに行き、スキャボニ広場沿いのホテルに滞在中に作ったとか。資金はメック夫人(チャイコフスキーのパトロンとして14年間援助を続けたのだそうだが、一度も実際には会ったこともなく文通のみだった、とか)が拠出したのもあってか、チャイコフスキーは、この曲をメック夫人に捧げているのだと。

曲想としては、手塚さんの中では、機械化の進む人間社会が、自然や森を破壊していき、その為、自然界の動物・植物が殲滅していく過程で、必死に生きようとする小動物達が、愛し合う兄弟、雄雌が自分たちの命を掛けて生きようとする物語である。第一楽章は、樵が大木に鋸を入れる場面から始まる。そして、第4楽章は、森が消え、排気ガスをだしている工場が林立している情景で終わる。そして、眞さんの第2楽章は、まだ消えてはいない自然の中で、木の葉にしがみ付きながら生きていこうとするトンボ(何故か、長渕剛さんの歌が思い出されて苦笑)が最後には力尽きる、という終わり方。

出来れば、眞さんには、第3楽章も完成させて頂きたいと願う。出来は、父親譲りというか、詩的で、叙情的なセンスがありながら、最新のアニメ技術を取り入れていて、切れの良い仕上がりになっている。こうして、親から子に受け継がれるのを実際に眼にすることが出来、それ自体が、生きていてよかったと思えたのである。

家に帰って、改めて手塚さんの漫画(多くはブック・オフで集めたもの)の背表紙を見ながら、そういえば、と、思いだしたのが、「手塚治虫 恐怖短編集1~5」。講談社・漫画文庫に収められているが、その内の第3巻は、「消滅の世界編」である。その中の短篇「塾れた星」(初出は、「SFマガジン」昭和46年(1971年2月)に掲載されたものだが、「森の伝説」と呼応する点があって、思い出したのである。

「熟れた星」の話は、こうだ。カナダのコークレーンという地区で、材木商で生活していた男が、ある日、好きな釣りをしていた時、川に流されてくる女を助ける。女は、お礼にと言って、「今の内に木も草も家もない荒地に引越しなさい。」という。何故かと問う男に、「月や火星や金星が穴だらけで荒れ果てた世界だったのは、何故か知っていますか?」と女はいい、続けて「宇宙には水と炭酸ガスに包まれた星は一杯あります。そこへ、わたしたちの仲間は生命の種をまくのです。何億年も経つうちに、種は繁殖しどんどん進化して、藻になり、草となり、木になり、魚になり、けものになります。そうした星を、私達は「熟れた星」と呼ぶのです。」

そして、「ある時期がくると、私達は、その星をかりとります。果物の皮をむくようにいい部分を刈り取り、残った部分は、そのまますてていくんです。それが、火星や金星です。剥ぎ取った残骸なのですよ。刈り取る時は、根こそぎはがして持っていくのです。」と。そして、それでも刈り残された部分はあって、それが荒地なのですが、生きていたければ、そこに引越し、隠れていれば生き残れますよ、と言い残して、消えはじめる。最後に、「刈り取りはもうすぐ始まります」と言いながら。男は、一体いつだ?と聞くと、女は、その時がきたら、きっと知らせます、と言い残して消える。

男は、隣人達の嘲笑にもめげず、家族をつれて、アラビアのネフド沙漠の北に移住し、50年経った。男の家族は、子供・孫も増えたが、ある日、「刈り取るのは今日です」というあの女の声を聞く。子供や孫は、自分たちは、一体どうなるのだろうと騒ぎ、男は、あの女が約束したとおり、大丈夫だろう、となだめる。

ところが、男にまた女の声が聞こえてきた。「刈り取るのは中止です。私達は去ります。この星は、そのままにしておくそうです。」それを聞いた子供・孫は、助かったと喜ぶ。ところが、男は、「この星は、もう腐っているから」という女の声を聞いて真実を知る。それでも若い世代は、自分達の知らなかった世界に、これから戻れるのだと期待し、旅の準備を始める。だが、彼らの見えない先には、原子爆弾が何発も破裂しているのが、漫画を見ている読者には、はっきり見えるのだ。。。

手塚さんが亡くなったのは、1989年。それから4半世紀が経った。だが、今の世界と地球の熟れ方は、なんと手塚さんの予言に似ているではないか。アラビア半島を中心として。冷静な眼と情熱の両方を持っていた手塚さんの作品は、今でも新しい目線を教えてくれている。

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