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「未完。仲代達矢」、を語る 

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NYには、1905年に設立され、初代会長は、高峰譲吉博士(1854-1922。タカジアスターゼで有名、夏目漱石の「我輩は猫。。。」にも出てくる)が就任された日本クラブ(現在名。当初は「日本倶楽部」)という日系企業を中心とした会員制の社交クラブがある。1912年には倶楽部の住所として、NY 93丁目161番地で、法人登録をしたようだ。

その後、第二次世界大戦の勃発とともに、敵国となった国の「倶楽部」は、閉鎖されたものの、戦後1955年に再開され、1963年には、現在の場所(西57丁目145番地)にビルを建てた。私がNYに来た当時1970年頃は、いかにも小さいビルだった。その頃は周囲も低いビルばかりだったので、対面のカーネギー劇場が際立って立派にみえた。

駐在員が急激に増えた1991年に、現在のタワー(敷地は小さいが21階建て)となった。バブルで、急激に金持ちになった日本から、潤沢な資金が注入された、と聞いた。現在は、日系企業の駐在員とその家族の文化交流の場として、日本文化の紹介(ギャラリー、習字・生花などのクラス、講演会など)やスポーツの催しで、NYの日系企業の役員、名流夫人達の集合場ともなっているようである。名流には縁の無い私だが、会員の友人とか、地元のミニコミ誌などで面白そうな会合などの情報は入る。

5月始めに、「あの」仲代達矢さんの講演会がある、と聞いて、早速クラブに飛んでいき、申し込みをした。講演会は19日。予想通りの満員御礼。

仲代さんの代表作の一つ、「人間の條件」は、1959年-61年に三部作が完成され上映されたが、私が見たのは、1965年頃、学生時代、池袋の「人生座」だったか深夜上映で、夜の10時頃から、二度の休憩を挟んで、朝まで、という徹夜上映。私も入れて女子学生3名と、用心棒に同じ学年の男子生徒1名で、三鷹の学生寮を抜けだして、休憩時にチャルメラ・ラーメンなど食べながら、泣きながら観たことを覚えている。

その頃から段々、仲代さんは、「七人の侍」「用心棒」「天国と地獄」「乱」「影武者」などの黒澤作品、「切腹(英文ではハラキリ)」「人間の條件」「怪談」の小林正樹監督の作品、「女が階段を上る時」「あらくれ」の成瀬巳喜男監督、「炎上」「鍵」の市川崑監督の作品「永遠の人」の木下恵介監督と、映画界の名監督から是非使いたい男優として三船・三国と並んだ。

殆どの作品は、NYでも、フィルム・フォラムやIFCという古い映画を上映する映画好きのたまり場、或いは「ジャパン・ソサェティ」で、監督集とか、俳優集で、作品を集めて日替わりで上映する催しがあり、お陰で、私は日本で見損なった映画はNYで殆ど観ている。

今年の3月末に日本に行った時、新宿の紀伊國屋に行ったら、真っさらの新刊案内で、「未完。仲代達矢」という本が積み上げてあった。早速購入して読み始めたら、面白いのなんのって。今までも、仲代さんの文章やインタビューは雑誌などで、紹介されてはいるが、今回の本は、それらを集大成し、且つ、仲代さんの人生観もしっかり理解できる、読み応えのある本で、読み始めたら、ドップリつかってしまった、というのがホンネである。

19日の夜、仲代さんが登場する前に、現在の仲代さんの活動を紹介する10分ほどの、ヴィデオが上映された。この動画を観て、私の長らくの疑問が解けたような気がしたのである。仲代さんは、元々俳優座の舞台俳優だから、2,3時間の上演で、長いセリフを滞りなく話すのは、慣れてはいるのだろうが、映画の場合、脚本の時系列に撮影するのではない。セットや、役者、ロケ地で、バラバラに撮るので、順序も役者の思い通りにならない。それでも、例えば、「天国と地獄」では、誘拐犯を追う立場の刑事となって、三船さん、香川京子さん、その他、刑事達を前に、延々捜査方針、行動指示などを話す場面がある。(ご本人によれば、ワンカット10分間、独り演技。)舞台なら、歩くとか、かがむとか、後ろのプロンプターとかで、場つなぎ出来るかもしれないが、映画では、隠れようもない。どうやって、長台詞を覚えて、しかも、後からどの場面の次に差し込むか、台本通りかどうかさえも、自分で決められない、というストレスの中を生き延びてきたのか、というのが疑問だったのだ。

写された動画の背景は、仲代さんの「無名塾」で、台詞を書いている場面が出てきた。台詞をいうのは、助手の方で、仲代さんは、それを聴きながら、筆で(お習字の筆!)で、逐一書いている。そして語った。「僕は元々台詞を覚えるのが得意じゃないんですよ。ずっと昔、一生懸命、台詞を覚えていたら、共演の山田五十鈴さん(ということは「用心棒」の時だったのか?)が、教えてくれた、「台詞はね、自分のばかり覚えてもダメなのよ。相手が何を言うか、それをしっかり覚えないとね。」それから、仲代さんは、自分のばかりでなく、相手の台詞を先に覚えるようにした、と。
相手の台詞を完璧に覚え、相手が何故、どんな気持ちで、それを語ったのかが分かって、初めて自分の役の人間の感情や、思いが観客に伝えられる、ということだろうか。

スクリーンは変わって、奥さんの恭子さん(1996年没)と、50年前にパリで観たという、イヨネスコの「授業」の無名塾版の一部を写した。仲代さんと恭子さんは、この「授業」をいつか2人で舞台でやりたいね、と話合っていたのだという。実は、私は、1970年代末に、渋谷のジャンジャンだったかで、中村伸郎さんと次女の中村真里子さんの「授業」を観たのだが、言葉の渦に巻き込まれるような気がして、シンドい戯曲だなぁ、と、思っていたのだが、仲代さんの「授業」は、演出がガラリと変わって、ライティングもメリハリが効き、面白そうな出来栄えではないか、と、観られなかったのが残念だった。

講演の中で、「無名塾」での育て方について、印象深かったのは、塾生を採用する時、規準は、「声のデカイのを採る」ことだと。これはまさしく仲代さんが俳優座の試験を受けた時、仲代さん自身はとても受からないだろうと、諦めていたところ、一次をパスしたのに、何故二次試験に来ないのか、と言われてあわてて飛んでいった、という実際のエピソードを踏まえてのことで、その観点から、役所広司さんが、声のデカイ塾生だった、とか。仲代さん(と以前は恭子さんも)を師として鍛ええられた塾生は、幸せだ。

講演の後、私は、日本で入手した「未完。仲代達矢」を持って、図々しくも、仲代さんのところに行き、サインをお願いした。この現存する「未完」の名優と握手できたことを、私の人生の終り近くの僥倖と感じながら。

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