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ヤング・アト・ハート(又は、年寄りの冷水) 

Garden Plaza Hotel
ガーデン・プラザ・ホテル、GA

10月は、東欧の旅行と日本への旅行が続き、この欄を無断欠勤してしまいました。謹んでお詫び申し上げます。これで、数少ない読者が益々減るだろうとは思いながらも、またトロトロと綴って行きたいと思います。お目汚しは僭越ではございますが、何卒お見限りなく、ご高覧賜りますよう。(ごまめ、お辞儀)
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11月に入り、NYで元の生活に入れるかと思っていたら、アトランタに行くことになった。今回の日本行きで、業界の一部にご紹介した「役員賠償責任と保険」の原著者(ディック・クラーク)に、翻訳完成の正式報告と、業界の現状を伺うことが目的だった。英語版は、既に第五版が出ている。日本語訳版は、初版であるし、何しろディックに最初に会ってから、二十年くらいは経っている。

私がCICの資格を取り、資格者対象のセミナーに参加した時、講師となって、アンブレラ(上乗賠償責任保険)のクラスを担当したディックは、当時Mブローカーに務めていたはずである。まだ若く、キレのいい話振りと明晰な分析、そして、当時としては、珍しく、日本語を勉強している、と、クラスで話をしていたのが印象に残った。それで、セミナーが終了した後、日系の本屋さんに行って、日本語の教科書のような本を、これがお役に立てば、と送ったのだった。それに対して、丁重なお礼の手紙が来たのが嬉しかった。

そんな経緯があったので、今回、久しぶりにディックに会い、最近の保険業界事情など聞きたいと思ったのが、この小旅行となった。ディックは、飛行機、レンタカーと余計な出費は避けて会議電話でいいのでは、と、有り難い心遣いのメールを下さったが、今回は、やはりけじめとして(日本的ではあるけれど)、お訪ねしたいと我儘を言ったのだった。ディックのメールには、更に、NYならラガーディア空港から、どこでもすぐ行けるが、自分の事務所は、辺鄙なところで、アトランタの飛行場からは数十マイル離れているし、判り難いから、という懇切丁寧な、だがその意図を汲めば、来ない方がいいのでは、という婉曲な断りともとれる一文もあったのだ。(そして、ある意味、そのアドバイスは正しかった。今にして思えば。)

ニューヨークからアトランタまでは、飛行機で直行便なら、2時間と少し。現役であれば、間違いなく日帰りのプランを選んだだろう。なにしろ現役時代は時間に追われていて、一社に一日以上割くなど無理だった。早朝・深夜のフライトも何のその。とはいえ、今はご隠居に近い状態。時間はあるが、こちらも年を取り、飛行機の中で心臓麻痺も無いとはいえない。また、ここ一年は、車を運転していないので、夜中、見知らぬ場所を慣れないレンタカーで運転することは避けたい、など諸事情を考えると、一泊はしないと。

ディックの事務所は、ジョージア州のアトランタ飛行場から東北に40マイルほど行ったジョンズ・クリークという静かで、ゴルフ場の多い、富裕な中産階級の多いコミュニティにある。彼の都合に合わせ、19日に昼の便で発ち、飛行場と目的地の中間にホテルを取って、20日の午前に事務所に行き、ランチをして、飛行場に戻り夕方の便でNYに戻る、という悠々プランを立てた。レンタカーは、使い慣れたハーツで。

旅の好きな私には、旅のプランをあれこれ練ることが旅の醍醐味の一部だと思っているので、ホテル探しも楽しい。今回も、丁度彼の事務所から10マイルほど南のガーデン・プラザ・ホテル(写真)を見つけて申し込んだ。プールがあるのがその理由。

レンタカーまでは、予想通りだった。アトランタの周辺環状ハイウェイの混雑を除けば、夕方にはホテルに着く。ところが、このホテルの近くになって、思いもよらない時間が取られた。元来方向音痴の私は、よく迷子になる。現役時代は、迷子になっても正道に戻るには5分あれば調整できた。今回は、実に20分かかった。すぐ近くなのに周囲が皆同じに見えて、やっと辿り着いた時は、もう黄昏時だった。このホテル、外見はグレート・ギャツビーに出てくるみたいで、内装もそれなりではあるが、プールは閉まっていた。 近くのモールで、サラダとワインの小瓶を買ってきて、明日に備える。

翌日は幸い天候も良く、暖かで、これなら楽勝という気分で、早めにホテルを出る。今度は、間違いなく到着するか、と、思っていたら、これがまた、ハイウェイに乗ったり戻ったりを繰り返した。(思うに、米国南部とNY近郊の距離感の差だと思う。NYならば、すぐそこと言われれば1km位を想像する。南部では、すぐそこは、5マイル以内と考えるみたいで。)それでも定刻の11時前には、到着した。そこは、ニュージャージや、コネチカットでよく見かけるビジネス・パークだった。こうした場所なら、慣れたもの。建物も事務所もすぐ判る。

ディックは、早めに着いた私を、よく来てくれましたね、と、大きなハグで迎えて下さった。ディックの写真は、翻訳本の時に貰っていたので、すぐ判ったが、彼のほうは、東洋の女性だということで、私と思ったのではなかったか。彼は現在J.S.Lブローカーの上級副社長である。彼の部屋の大きな窓から外の公園が良く見え、大きな机の上には、日本から送った翻訳本何冊かが置いてあった。早速、ディックに、翻訳完成に至るまでの色々な話をし、構成について原本からは逸脱した理由、リストの追加などについて説明した。ディックは、大きく頷きながら、それでよかった、と、言ったので、私は大いに安堵した。手土産のワインとチョコレートをお渡ししたら、「私も」と、ジョージア州産のペカン・ナッツにチョコレートを絡めたお土産を用意して下さっていた。日本人の感覚を良く識っている方だ。

ディックは、訪問のお礼にと、ランチをご馳走して下さり、日本の営業とか、販売の仕方がアメリカとは違う、というのをM社にいた時代から肌で感じていた、と言う。ずっと昔、日本語を勉強して、日本企業に日本語で販売をと密かに考えていたのだが、M社の上司に、「やめとけ。日本にはそんなもんじゃ売れないよ」と言われたのだそうで。ある意味正しいとは思うが、ディックが日本語の勉強を諦めたのは、残念だと思った。これから再挑戦してもらえるだろうか?

無事ミーティングを終えた私は、車で、飛行場に戻る途中、ガソリンを満杯にして返す、というレンタカーの条件を思い出して、ガソリン・スタンドに寄った。クレジット・カードを使い、財布に戻して、助手席のバッグと一緒に乗せて、ハーツ・レンタカーの返却場に到着した。そこはレンタカー・センターの1階だったが、何故か自然光のみで、ずいぶん暗い処だった。こんなに暗い返却場は始めてで、でもとにかく無事時間内に到着したのが嬉しくて、バッグを肩に掛け、後ろ座席からキャリーバッグを引き出し、飛行場に向かったのだった。

まだ時間は充分ある。そうだ、訪問時のスーツは普段着のジーンズに着替えよう、そう思った私は、飛行場のトイレで着替え、スーツをキャリーバッグに詰め込んだ。後は帰るだけだ。ビールでも飲むか、とゲート方向に歩きながら、バッグの財布を取りだそうと、手をいれたが、財布が、無い。エッと思って、衣装替えの時にどこかに置いただろうか、と考えた。最近、私は、何かを一寸置き、それを忘れてしまい、後で大騒ぎをする、ということが何度かあった。それを思い出した私は、午後の行動を逐一思い出そう、と、必死になればなるほど、頭は空っぽになるようであった。

財布には、現金、クレジット・カード数枚、車の運転免許証、メディケアのカード、その他、現在の生活で絶対必要なものが入っている。第一、身分証明をする写真付きが無くては搭乗出来ない。そこで、私は飛行場内の遺失物係の部屋にいった。小部屋にはマシンが置いてあり、自分で操作して、クレームをファイルするシステムである。それを使って作製している途中、係の女性が現れた。ホッとして、彼女に財布をトイレに置いたようだ、と、逐一話し、彼女は、すぐさま、全飛行場に連絡を入れて、トイレでの確認をした。無論、現金がある場合、トイレで見つけた財布をそのまま返してくれる、とは期待しないが、現金はともかく、他のカード類は、絶対必要だ。

彼女は、まぁ、時間が掛かるわねぇ、と。クレームを受付けたという書類は作製してくれた。私はそれを持って、搭乗カウンターに行き、紛失届けと、昨日の搭乗券、飛行機予約の書類を見せて、NYに帰りたいと言った。カウンターの女性係員は、セキュリティーの処に一緒に来てくれて、顔写真はあるかと聞いた。バッグの中を探したら、出てきたのは、アパートの鍵一式と一緒の、NYメトロ(地下鉄・バス)のカードで、高齢者は半額なので、写真入りとなっている。それが唯一のIDだった。それでも、搭乗券を発行してくれたので、予定通りの飛行機には乗れたのだ。一連の作業で、アトランタ飛行場に勤務する女性に、感謝と尊敬の念を抱いたのは、今までアトランタ飛行場は南部の怠惰な勤務場だ、という通説が(昔は兎も角、今では)事実ではないと判ったことからである。

JFKに到着したのは夜8時。通常であれば、タクシーで家に戻るのだが、現金がゼロ。頼みは、シニアのNYメトロ・カードのみである。JFKの飛行場とNYの地下鉄を繋ぐエア・トレインで、NYメトロとの接続駅に着いた。ここで、改札を出ようとしたら、NYメトロ・カードのシニア版は使えない、と、言われた。エア・トレイン用には別途5ドル払わなければならない、と。私はまたもや経緯を説明し、現金は何も持っていないので、なんとかメトロ・カードで家に戻りたい、と交渉した。幸い、エア・トレインの駅員は、上司のOKを得て、私は改札を出て、今度はメトロに乗り、各駅停車で2時間近く掛かったが、10時には、我が家に辿りついた。

家に入って、ホッとしてふと見ると電話器が点滅している。留守電をチェックすると、それは、なんと、アトランタ・レンタカー・センターのハーツのモニカという女性で、戻された車の中に財布があったので、本人確認をしたい、という内容だった。
ということは、レンタカーを戻した時、暗闇の中で、私は財布が下に落ちたのに気づかずバックのみを持って出たことになる。暗かったので、誰もそれに気付かず、その車をレンタルに出す準備の途中で、床にある財布に気がついた、ということか。そう思えば、辻褄があう。

すでに時間は遅かったので、翌日モニカに電話を入れ、今度はインターネットと電話と交合に使ってクレーム手続きをし、その日の昼頃には、財布発見とその還付手続き(フェデックスで郵送)を済ませることが出来た。

思えば、もう若くない私が、突っ張って現役と同じようなことをし、レンタカーの中を確かめもせず去ってしまった、というのが今回の誤ちだった。だが、一日経ったら、脳天気の私は、またぞろ、それなりに対処する手段があれば、これからも、同じような出張、或いは軽い小旅行には、独りでも行ける、と思い始めたのは、更に年寄りの冷水を増やすだけだろうか、それとも「気は若く」と突っ張りきれるのだろうか。

事の次第をディックへのお礼状と一緒に報告したら、ディックからは、「今回の“冒険”は大変でしたね。全て上手く収まったようで、何よりです。歳を取った我々だからこそ、そうした冒険を敢えてすることも大事だと思います。」という暖かいメールを頂戴した。旅行の時は、スーツケースには、別に写真入りのIDを入れて置くというアドバイスと共に。彼はヤング・アト・ハートだ。私だって、次回は、小さな懐中電灯を用意すれば。。。

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