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失われたものは何か? 

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 ここに掲げた写真は、今年3月20日のNYタイムス、NYC版である。だが、私には、この写真には、見覚えがあった。ずっと昔、ユダヤ人のラバイ(教師)が殺され、棺が集会所(シナゴーグ)から担ぎだされた時の人々の痛切な哀悼の思いが流れた写真である。確か、宝石商が強盗に狙われて、という話ではなかったか、と、宝石商とラバイの繋がりがいまいち良く判らなかった印象と共に朧気な記憶が立ち昇ってきた。現役で働いていた私は、当時、新聞をよく読む時間も無かった、というのは言い訳だが。(そういえば、宝石はどうなったのだろう?という疑問が頭に残っていた記憶がある。)
 
写真の時期は、1990年2月15日である。だが、この写真がなぜ今頃でてくるのか、という段になると、このNYタイムスの記事は驚くべき内容だった。 

事件が起きたのは、1990年2月8日だ。パン・アメリカン・ダイヤモンド社の貴石運搬人ワインバーガー氏はブルックリン、ウィリアムズバーグ(正統ユダヤ人の多い地区)のアパートの部屋を出て、50ポンドのずっしりと重いスーツ・ケースを運びだした。中はダイヤその他の貴石で、朝7時発の飛行機で、ドミニカ共和国に飛び、研磨してもらう為だ。業界の内輪では、こうした商用旅行の情報は簡単に取れる。アパートのロビーで、氏は、背が高く、ブロンドで見栄えの良い男をみた。「浜辺でライフガードをやってるみたいにカッコいい男」だったと氏は言う。お互い眼を合わせた。そのブロンドは、階下に降りていった。だが鈴懸の街路を歩いている時、氏は、あの男が後をつけているのに気がついた。
彼はケースを車のトランクに放り込み、飛び乗ってエンジンを掛けた。ブロンド男は、足を早め、顔はハンカチで隠し、銀色の拳銃を取り出した。ワインバーガーは咄嗟に車を後進にいれて男にぶつけ、男は、その勢いでゴミの山に押された。ドアも半開きのままワインバーガーは飛行場に着くまで車を停めることはなかった、と、後日のインタビューで応えている。

悲劇はその後だ。狼狽した強盗は、黒衣を纏ったラバイのワーツバーグ師が、集会所に行く為に、青い85年型オールズ・カトラスを発進しようと温めているのに気づいた。走っていき、師に発砲し、怪我をしたラバイを車の外に引摺り降ろし、その車に乗って逃げたのである。(警察は、おそらく宝石商を追うつもりだったのだろうと発表。)それから4日後に師は死亡した。

ワーツバーグ師はアウシュヴィッツの残存者で第二次大戦後にアメリカに渡ってきた。そして、ブルックリンのユダヤ社会で25年以上、教義を同じくする者達の為に生涯を捧げていた、と親族、友人は述べた。師の棺は、こうしてユダヤ人社会から惜しまれながら見送られたのである。

年間殺人数は2,200件を超えていた、1990年という当時のニューヨーク市でも、ラバイの死は大きな事件だった。(因みに、昨年2012年の殺人件数は414であった。)当時のディンキン市長は犯人逮捕に協力した者には$10,000の賞金を出す、と宣言した。市長の隣に立った、就任したばかりのブルックリン地区検察長のチャールス・ハインスは、きっと犯人を挙げてやる、と心に誓ったと新聞に語っている。

このケースに投じられた刑事は40人。そのトップは、シガーを咥えた刑事ルイ・スカレラ。スカレラは、間もなく無職のヤク常習の男、デヴィッド・ランタを逮捕した。逮捕された男の護送車にむけて、周囲のユダヤ人は、「死刑に!死刑に!」と囃したてた。ランタは1991年5月に有罪を宣告され、懲役37.5年、重罪犯の刑務所に送られ、現在に至っている。

ところが。

この3月20日の記事では、「彼は犯人ではない。」と。
記事のタイトルは「ラバイ死亡の事件で20年間服役してきた男 - 正当な理由もなく」  一体何が起こったのか?

陪審員裁判で有罪となってからこの20年間、すべての「証拠」が崩れ去ったのだ。「重要証人」の一人は、NYタイムス紙に語って曰く、「ラインアップされた犯人候補者の中から、あいつを選べと刑事に教唆された」と。強姦罪で服役中の男は「違うと知っていたが、刑事から司法取引の条件で、ランタだと言った」と述べた。また、ある女性は、「ランタだと嘘をついた」と、宣誓証言に署名提出した。

刑事スカレラと相棒のスティーブ・クミル(Stephen Chmil)は、調査規則を次から次へと破っていたことが、独立調査と法的書類とで明らかになった。彼等は、証人が言うべきことをコーチし、ある裁判官によれば、ランタの「自白」を極めて疑わしい状況下で取り付けた。彼等は、ランタを有罪にするために、二人の危険な犯罪者を刑務所から出し、麻薬を与え、売春婦に通わせたりした。

裁判の時、検察側は、刑事の行動は逸脱していることは認めたものの、「可愛い奴らだよ」と片付けた。退役したスカレラ氏は、胸を張った。「オレの人生で誰かを嵌めたなんてことは一切無いね。」と。

だが、ランタ氏と殺人を結びつける物的証拠は何もないのである。当時の検察長官ハインス氏は、今までの調査の結果、州判事にランタ氏を釈放するよう要請した。

ランタ氏は、今もバッファロー(ナイアガラの近くの市)の厳重刑務所に座っている。幾分恥ずかしげで、髪も薄くなった。話す言葉は、下層労働者のブルックリン訛りが抜けず、だが、こういった。「オレぁ毎晩寝る時に、世界中でオレが無実だと知っているのはオレだけだろうって思っていたんだ。30いくつかでここに来た時は、子供もいたし、お袋もまだ生きてた。この事件でオレの人生狂っちまったなぁ。」

この殺人事件の核には、25000人以上を擁するユダヤ社会がある。ラバイは、その社会の元締めであった。この敬虔で信心深い正当派ユダヤ社会は、警察に取っては、早く犯人を見つけるようにとのプレッシャーとなったこともあろう。

刑事達は必死に働いた。仮釈放の囚人や、疑わしい者達は片っ端から調べられた。ある匿名の電話は、ホールド・アップの常習犯で背が高くブロンドで見栄えのするジョセフ・アスチンと話せ、と言った。だが、アスチンは、4月2日に警察の車とのカー・チェイスで、車をぶつけて死亡した。

4月の末、スカレラは刑務所に行き、ディミトリ・ドリクマンを訪ねた。口髭を蓄え苦虫を噛み潰したような男だ。彼は数件の強盗で挙げられ、過去強姦で有罪にもなっていた。彼は、刑期を短縮出来る機会と思い、スカレラに、「ダチのアラン・ブルームと話をさせてくれ」と持ちかけた。ブルームは、麻薬中毒者で、何度も強盗で有罪となり、刑期は100年にもなるという状態だった。

スカレラは、ブルームとドリクマンを同じ房に入れ、二人は「話し合った。」その結果、ブルームは強盗はしたが、ガンマンはこそ泥で麻薬をやっているデヴィッド・ランタだった、ということになった。ドリクマンのガール・フレンドは、スカレラに、ランタとブルームとが、どう言い繕うか相談しているのを見たと証言した。
検察長官になったばかりのヘインスは、ブルームには殺人容疑は掛けないこと、又他の罪状については、大幅に刑期を減らすことを約束し、握手した。

8月13日、スカレラとクミルはベンソンハースト地区で、ランタを見つけ、手錠をかけて、ウィリアムズバーグ所轄の警察署に連行した。

スカレラはランタの裁判で、逮捕後26時間で、ランタは眠りもせず、ダラダラと自白を始めたと述べた。
法廷記録は矛盾だらけであった。宝石運搬人のワインバーガー氏は、強盗の顔をハッキリ見たのだが、裁判で、ランタを見て「100%あの男では無いです。」と証言した。実際、惨劇の時、周囲で見ていた人達で証人になった5人の内4人が、ランタでは無い、と述べたのだった。

だが、最後には陪審員は、ランタを有罪とした。

最終的に申し述べることはあるかと聞かれたランタは、裁判所で陳述した。腐敗した刑事と、自分を陥れた者について。「この裁判はすべて茶番であるから、あとは勝手にして下さい。」と。「私自身としては神が私の潔白と事実を開示して下さることを願うのみです。此処にいる多くの人は、自分の身を恥じることになるでしょうから。」

この法廷を司るエギット判事は、スカレラにどうやってランタの自白を取ったのか、何故ランタを捜査室に連れて行き、テープに記録を残さなかったのか、と聞いた。スカレラは、658語の自白は、すべて手書で記録した、と述べた。ランタは、自白などしていないと主張。ポリグラフの結果も主張通りだった。

裁判の途中で、エギット判事は、刑事はどうも信用出来ないようだが、と弁護士に述べた。「彼等は勝手にゲームをしている」と。「自分達で、判事と陪審員と執行人を皆兼ねているみたいに。」だが陪審員の審議に当って、判事は特段の注意事項も与えず、自分の不信感も表明しなかった。

4年経った時、新しい疑惑が出てきた。1996年にテレサ・アスチンが、夫のジョセフ・アスチン(1990年の警察とのカー・チェイスで死亡)が、ラバイを撃ったと証言したのである。彼女は、実際に手を染めた人で無ければ判らないことを知っていたのである。ランタの弁護士、マイケル・ボームは、裁判所に働きかけた。

とはいえ、テレサ・アスチンは、複雑な立場にいた。1980年代の初め、彼女はジョー・サリバン(アダ名は「狂犬」)という殺し請負人で少なくとも11人は殺していた男の女だったからだ。
後に、彼女はアスチンと結婚し、グラブサン地区に落ち着いたが、アスチンは麻薬常用の機械工で、拳銃をもっては、強盗を働くような男だった。

個人の生活は、曲折はあったにしても、テレサの話には筋が通っていた。夫は強盗を計画したが、震えて、涙を流さんばかりで帰宅したのは、ラバイが撃たれた日だった、というのだ。その後、彼女は夫が、トイレで銃を解体しているのを見た。

「オレは撃ってしまった。間が悪かったんだ。」と夫は言った、と。「夫は泣いていました。怖がっているようで」と彼女は証言した。「ジョー、あんた、トラブルに捲き込まれたのね、牧師か何かを殺したみたいに。」と彼女は夫に言った。これを法廷で証言した時にいたのは、エギット判事だった。だが、エギット判事は、その詳細を聴きはしたが、判決を覆すことは拒否したのである。

ランタは、上告の路は閉ざされたと思った。「これで俺は監獄で死ぬんだな、と。」後日、彼はそう述べた。

毎年、クリスマスになると、ボーム氏のところには、ランタからのカードが届いた。「私は、彼の無実を疑ったことがありません。」と彼は言った。「毎晩そう信じて寝るんです。」

16ヶ月前、検察長官は、起訴の正当性審議ユニットを発起させ、弁護士の集まりで話をした。誰か、再調査するべき案件を抱えている方はいますか?ボームが手を挙げた。

ブロンクス地区では、弁護士のピエール・サスマンが、警察の不当行為、職権乱用の証拠集めをしている時、スカレラ刑事がいくつものケースで名が出ていることに気がついた。コンピューターでサーチをかけると、ランタの名前が出てきたので、刑務所に訪れ、ケースを引き受けようと話した。

その後間もなく、最後の「証拠」が割れた。当時13才だったメナヒム・リーバーマンが、あの時、ランタは、殺人現場近くの車の中に居たのを見たのだった。

モントリオールにいるリーバーマン氏はあのケースがずっと頭から離れなくって、と言った。「私がラインアップの部屋に入る時、刑事が一人来て、鼻の大きなのだと言え、って。」と彼は調査官に語った。彼は、ランタだと言った。「鼻が一番大きかったから。」

また、ドリクマンのガールフレンド、エリザベス・クルズも、自分の述べた話は嘘だったと謝罪した。「私のは作り話でした。」と、宣誓供述書に署名した。「すべては、ボーイフレンドを助けようとして。」
ドリクマン自身、作り話だと述べた。刑事とブルームがランタを嵌めたものだ、と。

ランタ氏を巡る疑惑は、全く無くなった。3月19日に、検察庁のヘインス氏は述べた。「もう一日でも余計に刑務所で過ごすべきでは無いです。」ランタは、現在58才である。

めでたし、というには余りに長い年月だった。判事、検察官、警察、刑事、權力を持つ人が、全部悪かったとはいえない。だが、陪審員も含めて、裁判制度とそのあり方は、どの国でも、常に正しく機能していると思い込んではいけない。市民自身が公正な眼を持っているか、また、持っていると確信出来るかどうかに掛かっていると、改めて意識させられた記事だった。

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