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日本滞在-東京近辺の点描 

はじめに
本来、毎月一回の連載を心してきましたが、11月分が掲載出来なかったのは、10月の分に品の無いコメントが入っていた為その対応で、削除したのですが、暫くして又同様のコメントが入りました。NYに戻り、チェックして気づいたのは10月分のみにコメントが入るという事実でした。はたと思い出したのは、コメントを入れるように自分で設定を換えたのは10月分からでした。そこで、コメントを削除の上、コメントは拒否としました処、その後は10月以前の状態になりましたので、遅まきながらのご報告とさせて頂きます。コメントといえば通常のコメントしか考えていなかった短慮が災いしました。(宮平順子)

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11月の半分以上は日本で過ごした。ここ数年毎年帰国しているし、一年という時間は、人間のスパンとしては、長くは無い。一年でガラリと変わることは、通常では考えなかったはずだ。
だが、今年は違った。(と思った)。先ず、昨年3月の東日本大震災以降、今年に入って民主党政権の破綻が外目にもはっきり判り、10月末には衆議院選挙が発表され、泡沫党(と言っていいのかどうか?)が林立し、都知事が突然辞任して選挙に立候補し、と、NYで日経、WSJ, NYタイムス等から読み取れる日本は、原発処理もままならない中、未だに多くの方が難民生活を続けていて、政治を司る総理府・官庁は混沌とし、社会としては、団塊の世代が年金受給層に大量移住し、若年層は仕事がなく、定年まで勤められる保証は日に日に消え、とは言っても就職となると、大学の新卒就職が未だにメジャーで、大企業は中途採用は若干増えたとはいえ、基本は、年功序列の枠組みを若干変えただけ、発言小町 では、今でも女性は「専業主婦」が主流のようで、と、どうやっても不思議としか見えない社会の中で、一体人々は、どう暮らしているのか、と不安を覚えたりしていたのである。円高にしても人工的だなぁ、という感じも拭えなかった。$1が78円と言われても、と。(旅の出費は増えるし)
ところが、実際は、NYで思っていたイメージとは大きく違う点がいくつもあるのに気がついた。日本に着いて、時間を縫って、出来るだけあちこち歩いてみたら、(私の行くところなどは殆ど決まっていて、山の手線と東海道線で近郊のみだが、)ネットで眺めるのと実際に見るのとでは大違いと判った。百聞は。。。の通り。
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東京駅近辺は、以前にも増して駅舎は華麗・豪華に蘇り、周辺の大通りも植栽といい、照明といい、贅沢なしつらえ。夜の池袋(サンシャイン側)の雑踏ときたら、若者が押し合いへし合いし、その熱気は、私のような老女には草臥れてしまうほど。電気は煌々と昼間のようで、両脇の店舗のズラリから、客引きの声の幾重にも流れてくると、昔の縁日か、お祭り騒ぎみたいだった。妹が連れて行ってくれた恵比寿ガーデンのバカラの大シャンデリアは、一粒がするであろう値段を考え、その数量と眩しさに圧倒されたし。周辺のクリスマス・イルミネーションも、NYの目貫通りと遜色のない立派なもの。沿線の駅ビルのトイレに至っては、暖かく、音姫は流れ、トレペも水も使い放題、これじゃ、どこぞの国の地方から来られた観光客は、日本の富に唖然とするだろう、などと、思ってしまった。GetAttachment[1]

商店街の人と話をしていたら、「ニャンニャンが来た時は」と言ったので、「ニャンニャンて、何ですか?」と聞いたら、中国・韓国からドッと押し寄せた観光客のオバサン達が、ニャンニャン、ニャンニャンと訳の判らない言葉を大声で捲くし立てながら行列を作って歩いていた、とのこと。ずっと昔、戦後には、「第三国民」「ロスケ」「チャンコロ」などという蔑称を、大人が使っていたのを聞いて子供心にイヤだなと思った記憶はあるが、今は、可愛らしいニャンニャンか。尤も、言われた方がどう思うかは何とも言えない。また、ニャンニャンが、その近辺での呼び名なのか、どこでもそう言われているのかも、不明だが。尖閣問題以後、ぱったり来なくなったのだそうだ。むしろニャンニャン様々だったのかも?

NYの私のアパートからは、以前のワールド・トレード・センター方面が見え、あの二棟が焼滅した跡地には、フリーダム・タワーが今も更に天に向って、最後の鉄塔の部分が伸びつつあり、その隣には、槇文彦さんの設計による4号棟が、寄り添っている。夜はこの2棟が、白熱の照明棟となって、夜空に自己主張している。その4号棟を見てそういう設計家だと思っていたのだが、東京には槇さんの作品(建物)が多くあると知った。
これも、設計家のグループが、東京にある建築家達の作品をマップに記し、それを見ながら、建築物巡りをすることが出来る。KITE MITE MAP(来て、見て、マップ)と名付けられたマップを、さる方のご好意で手に入れて、眺めていたら、槇文彦さんの作品の一つ「東京キリストの教会」(竣工、1995年)が代々木八幡にあると判った。ミーハーの私は、この地図を頼りに、その教会に行ってみた。代々木八幡の駅で降り、歩道橋に昇ると、317号線の通りになる。20分ほど歩き、富ヶ谷2丁目の交差点近くに、その建物はあった。外側も端正なビルで、繊細な十字架が屋根に取り付けられていなければ、教会とは思わないだろう、というシンプルな建物であった。 扉を押しても動かない。はて今日は週日だからお休みか、と裏に回ったら人がいたので、恐る恐る見学希望を述べると、いとも簡単に招じ入れてくれた。(後で判ったのだが、扉は押すのでなく、引くものだった。)
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どうぞご自由に、といわれ、独りで二階の集会所に行ってみる。どの角度から観ても、すっきり、シンプルでありながら、ところどころ思いがけない遊びがあって、サマになる心憎い建造物だなぁ、と。中央(2階)の集会所は、広く、明るく、オープンで、正面の(通常なら祭壇がある部分)障子格子の一部に、「私は世の終わりまで、いつもあなた方と共にいる」という一句が、毛筆で書かれ、それが、この「教会」の要になっている。「私は世の終わりまで、いつもあなた方と共にいる」と読みながら、何故か「和を以って貴しとなす」という全く関係の無い文章が、同時に頭に浮かんだのは何故だろう。
教会全体が新しいせいか、とても清潔で、民主的な雰囲気で、これがアメリカで9-11の跡地に槇さんが選ばれた理由か?とも思った。複数の方に、「この教会は、何派ですか?」と聞いたのだが、皆「カトリックではなくて。。。」というだけで、人皆司祭の教会、なのだそうだ。民主的な雰囲気はそうしたことからか。時節柄12月は、音楽演奏会が開かれるそうで、良かったらとお誘いを受けたのだが、残念ながら演奏日は、既にNYに戻っているという日だった。

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教会を出て代々木公園にいったら、1964年のオリンピック時には、確か丹下賢三さんのスタジアム(あの葉っぱの形の)が空に聳えていた写真が多かったと思い出すのだが、今は、周囲の施設や公園とかNHKとかのビルの間に窮屈そうに身を縮めているように思えたほどだ。そして、代々木公園の植栽も、丁寧に処理されていた。日本中、兼六園になったのか。

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成田を発つ前の日、姉と二人で鎌倉に行った。北鎌倉で降りて鎌倉街道を鶴屋八幡宮に向かって歩いたのだが、途中数多ある寺院、仏閣は、どれも植樹がよく手入れされていた。姉が連れていってくれたのは、駅からすぐ側の東慶寺である。姉曰く、父が亡くなった時、旧一高の卒業生として、東慶寺にある向陵塚にも祀られているのだと。父母の墓は、千葉の安房勝山にある父の生家の浄蓮寺のお墓しか知らず、東慶寺の話は、母からも他の姉妹からも聞いていなかった私は、この日、改めて、亡き父に挨拶が出来た。姉によると、満州の大同学院の記念塚は、別途京都にあるのだそうだ。自分の親の墓が3箇所もある、というのは、何か不思議な気がした。それこそ「千の風」でもなければ、3箇所を満遍なく周ることも出来ないだろうに。
その後、姉と、「鉢の木」という鎌倉近辺では何軒もある和食チェーンで、お昼をしたが、ここも、9割方は中高齢の女性で、グループで男性が入っているのは、姉に言わせると、「句会」とかの集まりだろう、ということだった。それまでも、どこでも洒落たレストランは、大半が中高年の女性だったことを思うにつけ、日本では夫婦で外出するよりも、夫は夫仲間と、妻は妻仲間と別行動が一般的で、それを違和感なく実践しているのだろうかと思ったが本当のところはどうだろう?

通りすがりの人間の感想しか言えないが、日本が他国の人々の羨む贅沢に慣れた人達の国だ、というのは事実だろう。ただ、隣の人が気になる人々故、同じレベルが集まっている為、自分達がどれほど恵まれた環境で生活しているのかに全く気づかずに居る、ということも幸せでもあり不幸でもある、ということかも知れない。

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